びぜん 光正 のあしあと 

長野県議会議員 日本共産党長野県議団 びぜん光正のブログ

平和について考える・・知覧特攻平和会館視察

 1日は宮崎県の視察の後に鹿児島県に入り、知覧町の特攻平和記念館を視察した。
 昭和17年、知覧町に大刀洗陸軍飛行学校知覧分校が設置され、戦況が深刻になった20年には本土最南端の航空基地として、特攻基地となった。沖縄まで650キロ。この地から飛び立った1036名の尊い命の犠牲のうえに現在の日本がある。


知覧1 私達が伺った時には、宮崎県からの小学生が修学旅行に訪れており、特攻隊員であった方の解説を真剣に聞き入っていた。
 私も聞きつつ、1036名の遺影と遺書をガラス越しに見ながら、日本の行った残虐な行為に怒りを覚え、そして目頭が熱くなった。17、18から22歳などと、今の私の長男と変わらない年齢。戦争は若い命を無造作に粗末にさせた。

 長野県出身者は30名。1036名の中には朝鮮出身者や樺太出身者もいる。しかし、海軍もあわせると特攻隊員は実に6000人を超えるという。

 私は県出身者の上原良司さんの遺書を探した。「きけわだつみのこえ」。彼はあの時代に、自分は自由主義者であり、この戦争は負けるということを書き、自由は戦力で破ることはできない。自由の勝利だと記している。あの時代にこういった考え方ができたことは大学で学問を身につけ、冷静な洞察力を培ったからだろうか。しかしあの時代にこのことをもう明日には出撃の時に記すなどとは冷静にいられないのだろうに。驚くべき精神力である。

 会場で購入した本に彼は他の方のエピソードの中にも名前が出てきて、「日本は負ける」「もう自分たちは死ぬのだから、何も怖いものはない。ただ、征けという命令で征くのではない」と言っていたとある。もの凄い精神力である。

知覧2
 会館にはこのほか、復元された戦闘機や引き揚げられたままの戦闘機も展示されたり、おびただしい遺品が展示されていた。隊員たちが出撃を待った三角兵舎も見たが、特攻に行くにはとても粗末な「小屋」である。狂気の時代に引き起こした戦争と悲劇である。どんなことがあっても戦争を許してはならないと思った。