びぜん 光正 のあしあと 

長野県議会議員 日本共産党長野県議団 びぜん光正のブログ

人類の引き起こした最大の犯罪の地アウシュビッツを訪れて

16日から夏休みをとって息子とポーランドに来ています。この間ずっとなんとか見てみたいと思っていたのですが、なかなか実現しなかったのですが、今回は全国の歴史教育協議会の主催の約20名の一行に加えていただき、ポーランドと、フィンランドを巡るツアーに参加することができました。

正門
アウシュビッツ収容所の正門>
第二次大戦中ドイツ・ナチスによって約150万人もの虐殺がおこなわれたアウシュビッツ収容所を訪れています。
アウシュビッツは1939年にポーランドオシフィエンチム市(Oswiecim)を含む一帯がドイツ第3帝国の一部に加えられ、ドイツ語表記でアウシュビッツに改められたという。

死の壁

死の壁
ユダヤ人の壊滅を目的としていたことが言われているが、当初はポーランド人(政治犯)の虐殺だったというが、そのうちに全ヨーロッパのユダヤ人、ジプシー、ソ連軍捕虜とエスカレートし、チェコユーゴスラビア、フランス、オーストリア、そしてドイツ人もいたという。

ガイド役のBogustaw Pindurさん(大学教授、アウシュビッツの案内書の日本語版の翻訳者)に通訳していただき、先ず、入り口の正門の有名な「ARBEIT MACHT FREI」(働けば自由になる)の看板が実際には「死ねば自由になれる」と強制労働に駆りたてられた象徴として掲げられていた。

おびただしい数の遺品、女性の髪の毛の山など、銃殺処刑された「死の壁」そしてガス室、焼却炉など現実に目の当たりにした。この地は、ヨーロッパの中心部であり、ヨーロッパ各所からの囚人捕虜を送り込みやすかった、また、鉄道網の要衝としての地の利からも選ばれたという。話には聞いていたり資料などでは学ぶが実際に見ると身の毛がよだつ見学。

アウシュビッツのガス室焼却炉
<原形をとどめるガス室、焼却炉(室内は撮影不可でした)>150万人もの(実際には書類が隠滅されて詳細数には諸説があるそう)おびただしい数の人の命が無残に奪われた人々への献花と、9条を守るための寄せ書きを亡き霊におくり、二度とこのようなことを引き起こさないよう誓った。

日本との時差7時間(サマータイムあり)。時差ぼけということ以上に私自身興奮してしまい、ここのとこの睡眠時間は4時間、「何でも見てやろう」と今朝も4時台の起きてしまい、持ってきたありったけのデジカメやビデオ、そしてパソコンの充電(こちらはコンセントの形状と電圧が220Vが違い、撮影機材等の準備、ネット環境もホテルで様々で四苦八苦しながらやっています。そんなことも知らん顔でよく眠っている息子がうらめしい。(それでも家では全くやらない洗濯をしていたのにはびっくりしたが)
さっき白んできたと思ってた空がもう青空になっている!今日も暑いでしょう。(37度とかなるのですが、空気が乾燥していて、日陰に入ると涼しい。長野県と似ています)