びぜん 光正 のあしあと 

長野県議会議員 日本共産党長野県議団 びぜん光正のブログ

第二アウシュビッツ・ビルケナウ収容所へ

19日はアウシュビッツ収容所から3キロ離れたブジェジンカ村に作られた、第二アウシュビッツといわれたビルケナウ収容所を訪れました。
ここは第一よりもさらに大きい175ヘクタール300棟以上のバラックが作られたのですが、現在残っているものの多くはレンガつくりのもので45棟、木造は22棟で特に木造にはジプシーのみの収容所があり、44年にはすべて毒殺されたそうである。

引込み線2
正門からまっすぐにのびる鉄道の引き込み線は有名な風景だが、約60年ほど前にはここが生死の分かれ道であった。所内のほぼ中央で列車をおりた囚人たちは、ここでSS将校とSS医師により選別され、働けるかどうかでガス室送りと、バラック送りと分けられた。

バラックに送られても、3段ベッドの一番下は土間であり、ここに一番弱っていた人を寝かした、また1パートあたり8人が寝たというが、せいぜい4畳半くらいである。水がもともと無いところであり、衛生的劣悪さは極限であった。

トイレ
また、トイレにはプライバシーは全く無く、所用時間は10から15秒で、これを越えるものは他の囚人、SS隊員の虐待の対象にされたという。このれんが造りは女性用であり、冬の寒さはかなり堪えたと思われるが、木造はさらに劣悪であったと思われる。

子どもバラック壁画もっとひどいのは子ども用のバラックもあり、壁には童画が書かれてあり痛々しかった。

ここに、ナチスは第2から第5までのガス室・焼却場を作ったが、戦況の悪化に伴い証拠隠滅のために爆破され、その残骸が多く残されていた。

破壊されたガス室
現在はナチス政権化犠牲者の国際慰霊碑が建立されているが、それにしてもここに44年10月には10万人、さらにモノヴィツェ村にアウシュビッツ3号もつくられたのだが、戦争という行為が人をここまで狂気もにさせることにとても一言で語れるものではないが、驚きと怒りが湧き起こる。

国際慰霊碑前
慰霊碑の前にたち、正門にむかって伸びる引き込み線のわきには野草が咲き乱れていたがあまりにも悲惨で残酷な過去を背負っている風景であり悲しい気持ちになった。