びぜん 光正 のあしあと 

長野県議会議員 日本共産党長野県議団 びぜん光正のブログ

歴史を遡って

話は前後してポーランドについて記録してきたことについて触れたいと思います。ガイドブックみたいになってしまいましたが・・・。

過去に何度も地図上から姿を消して甦ってきた国。9・10世紀、「平原の民」という意味のポラーニエ族がゲルマン民族の圧力に対抗するためにスラブ部族国家を統合したとある。東西ヨーロッパを結ぶ交易路の中継地にあり、歴史上何度も他国の侵略や分割という憂き目にあってきたが自らのアイデンティティを失うことなく、様々な文化や思想、芸術を吸収し独自文化の発展をしてきているという。

クラクフがかつて首都であり、現首都のワルシャワは1596年に遷都された。「北のパリ」と呼ばれたこともあったが、二次大戦末期にドイツに抗して跡形も無く破壊され20万人が犠牲となった。今回訪ねた旧市街の古い町並みは「壁のひび一本まで再現された」といわれ、歴史地区は80年にユネスコ世界遺産に指定されています。今回撮ってきた写真で遡ってみます。

サスキ公園
18世紀、国王アウグスト2世が築いた公園。

サスキ公園





無名戦士の墓
1925年に建てられた。両側を衛兵が立って護っている。毎正時には衛兵の交代式が行われる。
それまでは微動だにしない。

無名戦士の墓








ワルシャワ蜂起記念碑
二次大戦末期の44年8月1日、ワルシャワ市民がドイツ軍に対して一斉に蜂起したが、期待していたソ連からの援軍が届かず、市街地はほとんど破壊され20万人の犠牲者を出し、10月2日に降伏した。蜂起45周年を記念して建てられた。

ワルシャワ蜂起記念碑







ワルシャワ・ゲットー記念広場

ゲットー記念広場







バルバカン
旧市街地の砦。バロック様式で、二次大戦で破壊されたが、54年に復元された。

バルバカン






ワルシャワ歴史博物館
中世の建物(復元された)の中にワルシャワの歴史を展示しており、特に二次大戦の資料は驚くほど多く展示されている。最上階(何階まであったか覚えていないが)階段の上り下りが結構つらかった。

ワルシャワ歴史博物館からみおろす





旧市街市場広場
300年以上の歴史のあるレストランやみやげ物店、そしてカフェテラスで楽しむ観光客でいっぱいでした。ここも戦後忠実に復元された。

旧市街市場広場2



旧市街市場広場





キューリー夫人博物館
ノーベル賞受賞の科学者キューリーの生家を博物館としている。アインシュタインとの懇談の写真もあったり(多分アインシュタインノーベル賞受賞前の写真しゃなかろうか)、また私たちが行ったときにはCERNの展示も行われており感激。

キュリー夫人博物館





ショパン博物館
17世紀に建てられたバロック様式の建物で、ちょうど室内ではJerzyRomaniukさん(ショパンコンクールの審査委員にもなっているという)のピアノリサイタルを聞く機会に恵まれ、しかもシャンパンを飲みながらというもので、音楽文化の深さと広さにも驚き。いくつもの国々の人たちと一緒になったが、音楽ってすごい!それとショパンワルシャワ生まれでポーランド革命を願って作曲演奏活動を続け1849年10月チャンスがまた消えた時にパリで死んだとされるが、このショパンの心臓が聖十字架教会の柱の下に埋められているという。二次対戦中はナチに爆破され略奪されたが後に戻ってきたという。(コンサート前の室内)

ショパン博物館にて






聖十字架教会
ワルシャワ大学の向かい合い。ショパンの心臓が埋められているという柱を見に入ったが、ミサ中であり確認はできなかった。でもここも荘厳な教会圧倒されました。

聖十字架教会









ワルシャワ大学
一番奥にカジミエーシュ宮殿があるというが、大学というより文化財

ワルシャワ大学






科学アカデミーとコペルニクス
聖十字架教会や大統領のいるラジヴィラ宮殿など一連のモニュメント群のある通り(クラクフ郊外通りから新世界通となるところにコペルニクスの像が鎮座している。これが凝っていて、像の周りの路面には太陽から土星までの惑星とその軌道が描かれている。木星には大赤班が描かれ、土星には輪がきちんと描かれている。当時は土星までしか発見されていなかのだろう。また木星ガリレオ衛星は描かれていなかったが、いつの建設だったのかな。

コペルニクス像と科学アカデミー





土星像


などなど数々の息を呑むような文化歴史資産を見ることができました。