びぜん 光正 のあしあと 

長野県議会議員 日本共産党長野県議団 びぜん光正のブログ

ウィーン市内を満喫!シェーンブルン宮殿・・ホーフブルク、シシィミュージアム・・

旅行6日目、いよいよメイン企画のウィーン巡り。
最初はシェーンブルン宮殿

ハプスブルク家の帝都。13世紀からつい先世紀まで世界に日の沈まない帝国を築き上げた王家といわれる。ルドルフ1世が1273年に神聖ローマ帝国皇帝に選出され領土を拡大。
14世紀以降東方から勃興したオスマントルコ軍に進軍されるもこれを打ち破り(トルコ行進曲がこのことから作られたのは後に知りました)


18世紀にはマリアテレジアが女帝として君臨し、その絶頂期を迎えた。が、ナポレオンの台頭によりオーストリアは敗北し、ナポレオンのシェーンブルン宮殿への入城を許すことになった。ナポレオンが1813年に敗れたあとの欧州再編を決めたのがウィーン会議

19世紀には城壁が壊され、リングが築かれ街の整備が進み現在の原型になったが、20世紀に入り一次大戦での敗北を受け640年に及ぶ栄華を誇ったハプスブルク家は歴史から姿を消した。
ヒトラーに併合されて2次大戦を経て永世中立国として再出発を果たしている。と世界史のおさらいをざっとしてみたが、百聞は一見。実際に見るとその繁栄と栄華というのか文化芸術もすごいものである。


 宮殿内はやはり撮影禁止なので私はカメラを持つ手がウズウズしてしまっていたが、外構は構わないので撮影。天候が小雨交じりなのでちょっと残念。
広い広い宮殿の入口を入ると(入るまでも長い道のり)さすが、「フランスのベルサイユ宮殿に匹敵する宮殿を」と創られた建造物。といってもフランスには行ったことはありませんが・・・。


実に1500人以上の家臣と1441室もあるという宮殿(現在は賃貸している部屋もあるとか)。公開しているのは40室だといいますが、フランツ・ヨーゼフの執務室、寝室やシシィの愛称で呼ばれた皇妃エリザベートにまつわる部屋、膨大な数の銀食器、など色々と見ることができた。


ここがハプスブルク家が一夏を過ごした夏の離宮だというのだから驚きです。



 
 
その後ホーフブルク(王宮)の外観を見学。これがまた広くてどこにいるのかわからなくなってしまいました。新王宮の前には巨大な二体の馬にまたがる兵士の銅像が向かい合っているのが印象的でしたが、一つはオイゲン公像でもう一つはカール大公像といいます。オイゲン公はオスマントルコを撃退したフランス出身の英雄。カール大公は1809年アシュペルンの戦いにおける像と言われます。(これはまた調べてみよう・・)




シシィミュージアムにも入ってみました。ここはホーフブルクの一角の旧王宮の中にあり、別料金で見学できました。
彼女のコレクションの絢爛豪華な宝石や金や銀などの食器、そして62歳にしてスイスへの訪問中に刺殺され命を閉じた数奇な一生の展示、また4人の子供を産んでも身長173センチ、体重48キロ50センチのウェストをキープしていたという(過度のダイエット等によるという)今でも凄いことですが、その方が身を包んでいたというドレス等の衣装(ドレスのことなどよくわからないのですがウェストが「か細い」!)や、レマン湖で刺された時の短剣のようなヤスリと応急手当(常時持っていた痩身のため?という)様々な薬、注射器なども当時のまま展示されていました。

エリザベートは息子に先立たれ(令嬢との心中だそうですが)、これが原因なのかその後は公式でもそうでなくても喪服に身をつつんで放浪したといいます。当時の政策での政略結婚のためドイツ・バイエルンから15歳の時に姉の見合いの席で妹の方のエリザベートが見初められてしまい結婚したフランツ・ヨーゼフ1世との溝も深まる中だったといわれます。

街のいたるところやパンフレット、お土産にもエリザベート(ウィナーはシシィと呼ぶそうです)の肖像画が貼られているのですが、写真でも本当に「絶世の美女」と言われるのもうなづけました。が、15歳からの人生は人間らしい生活からは遠ざかってしまい、一人の人間としての幸福感は乏しかったのではないかと想像できてしまったのでした。