びぜん 光正 のあしあと 

長野県議会議員 日本共産党長野県議団 びぜん光正のブログ

恩師の訃報と弔辞

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これまでずっと私の後援会長をやっていただきお世話になりっぱなしの恩師である中島得夫先生が急逝された。

先週もみずほの里のお部屋に会いに行った時も全く元気そうだったのに。その前に伺った時は1月の事務所開きにはこっそりとみずほの里に車を乗り付けておき、酸素ボンベ引いて参加しようとしていたが、インフルエンザの大流行で外出禁止とされ、来れなかったと残念がられていた。

50年前の宗賀小学校に入学した時が先生との出会いだった。私は3歳の時からの脚の病気で腰から下は装具を付けての入学式。でもガッタ坊主な私はブランコ遊びでその装具を派手に壊し、先生は汗だくになって直して下さった。専門外なのに大変なことを度々させてしまった。

先生の授業はスパルタだった。2年生の九九は先生の目の前で暗唱させられた。居残ってできるまで帰れなかった。そうやって叩き込まれた。

でも、本格的には20年ほど前の協立診療所建設から病院へ、さらには高齢者介護施設の建設へと展開した頃、施設の地元区長や民生委員を歴任されており、沢山のご助言をいただき、いわゆるご意見番のように、病院とのやりとりに協力を頂いた。

先生の家の車庫には数多くのツバメの巣があって、飛来日と巣立ちの日が全部書かれていた。あれは学校を送り出した教え子たちをいつまでも見守っているのではー。先日先生宅に行ったら、施設入所の折に巣は全部取り払ってきれいにされていたようだけれど、またツバメが戻って2つ巣がかけられていた。ツバメたちの居心地の良い場所なんだろう。そして教え子たちも近所の人たちも居心地の良い所だったのでしょう。よく車庫に置いたソファに座って色々と話したり、先生自慢の野菜特にトマトは絶品で訪れた人も私も頂戴した。

久しぶりに同級生に連絡しあって相談してお花をあげることもできた。
先生には大変お世話になり、感謝してもしきれないほどの厳しいけれど温かい気遣いをしてくださった。安らかに眠っていただき、空の上から私たちを見守っていて下さい。合掌。